この讃美歌の第2節には、「イエスが死んだあの十字架の上で、神の怒りが満たされるまで」という一節があり、贖罪の満足説を支持しています。 そのため、満足論に反対する人々の批判の対象となっている。 2013年、米国長老教会の15人の委員会は、タウンエンドとゲッティが、問題となっている行を “神の愛が拡大された “と変更する許可を拒否したため、新しい教会の賛美歌からこの曲を除外することを決定した。 賛美歌を編集する委員会のメンバーは、2010年に出版されたバプティスト教の賛美歌の中に別の歌詞を発見したため、この変更は著作権者の許可を得たものだと思い込んでいました。 委員会の決定に批判的な人たちは、この賛美歌には、”O Sacred Head Now Wounded “など、満足論や刑罰代償モデルを支持する他の賛美歌も含まれていると指摘しました。 委員長のMary Louise Bringle氏によると、「In Christ Alone」を除外する決定は、「怒り」という言葉ではなく、「満たされた」という言葉が中心だったそうです。
委員会の決定は、教派を超えて、米国長老教会内でも大きな議論を引き起こしました。 PCUSAのファースト教会のクリス・ジョイナー牧師は、彼の会衆の多くがこの賛美歌を気に入っている一方で、この決定に同意したと述べています。 十字架は神の怒りの道具ではありません」。 Beeson Divinity Schoolの学部長であるTimothy George氏は、「No Squishy Love」と題したオンラインコラムでこの判決を批判し、「キリスト教の教義の中で攻撃的な部分を軽視する、より広いパターンに当てはまる」と主張した。 ボイス・カレッジのデニー・バーク教授は、ジョージと同様の見解を示し、「怒りがなくなると、神の償いの中心的な意味である刑罰的代償もなくなる」と述べています。 結局、十字架そのものがつまずきの原因であり、だからこそPCUSAはこの賛美歌に耐えられないのです」と述べています。 一方、アラバマ・バプティストのボブ・テリー氏は、満足論には同意するものの、「もし『怒り』の意味が、神が執念深く、御子を罰することに喜びを感じているというのであれば、それは私が聖書で記述されている神の姿ではありません」と書いています。 私が聖書で理解しているのは、『神が世を愛しておられる』からこそ、『神を砕き、苦しませる』ことを厭わなかったということです」